坂戸駅から少し南へ歩くと、コンクリート打ちっぱなしの建物に丸いガ
ラスがいくつも埋め込まれた壁が見えてくる。
小さい看板に書かれた店名は「Caffe えん」。
手書きの黒板には、その日のワンプレートランチのおかずがぎゅっと並
ぶ。
店に入ると、ゆるやかなカーブを描くカウンターと大きなテーブルがひと
つ。
目の前には家庭のキッチンをそのまま広げたような調理場があって、鍋か
ら立ちのぼる湯気が、コンクリートの空間をやわらかく曇らせる。
ここは、外食というより「誰かの家の台所」に招かれた感覚に近い。


第一章 四十年分の「おかえり」を盛り付ける
最初の店を構えたのは、およそ40年前の坂戸市役所そばだという。
当時は転勤で埼玉に来たばかりで、「主婦は家で家庭を守るもの」という
価値観を抱えたまま、周りの主婦たちが朝から子どもを連れてどこかへ出
かけていく光景を、不思議そうに眺めていた。
自治会の集まりから、たまたま入ったスナック。
そこで大家さんから「うち、空いてるけどやってみない?」と声をかけられ
た。
経験はゼロ、それでも家から自転車で30秒の距離なら家庭と両立できるかも
しれない。
「家庭をおろそかにしないこと」
を条件に、夜の店を始めたのが原点になる。
以来、場所を移しながら5店舗目にあたる現在のCaffe えんへ。
警察官たちが見守ってくれたこともあり、今でも客層は落ち着いた大人が
中心。
店主は「お金じゃなくて、人は宝だよ」と笑う。
その言葉どおり、政治家や官僚の人、社長、名のある指揮者まで、多彩な
方が静かにカウンターに並んできた。
第二章 冷蔵庫の中から決まるワンプレート
Caffe えんのランチは、基本的に日替わりのワンプレートランチひとつ。
取材の日の黒板には、こんなメニューが並んでいた。
- 鯖のみそ煮
- 銀ダラの煮つけ
- メンチカツ
- きつねうどん

大皿には、葉物のおひたし、サラダ、自家製の小鉢。
「今日は近所から春菊をもらったからね」と言いながら、店主はさっと湯
がいて皿の空いた隅に添えていく。
店主の料理の軸は、あくまで家庭料理。
「自分の味覚で出してるだけ。かおと同じで、好きな人もいれば苦手な人も
いるからね」と肩の力を抜きつつ、手は止まらない。
目の前に並ぶのは、飲食店の「定番メニュー」ではなく、家庭の続きとして
一食のように見える。

第三章 キリマンジャロとコンクリートの静けさ
カウンターに腰かけると、小ぶりのカップで出てくるのがキリマンジャロ。
店主自身、もともとはコーヒーをほとんど飲まなかったという。
開店に向けてインスタントかられぎゅまでいろいろ試し、いちばん気に入っ
たのはブルーマウンテン。
けれど、ランチに付けるには豆の値段が現実的ではない。
そこで選んだのが、香りと飲みやすさのバランスが取れたキリマンジャロ。
特別なエスプレッソマシンを置くわけでもなく、シンプルな抽出でさらりと
出す。
ここでは、豆の産地や焙煎度よりも、「その一杯を飲みながら誰とどんな
話をするか」が大事になる。
コンクリートの壁に声がやわらかく反射して、カップを置く小さな音まで、
店内の静けさをゆっくり撫でていく。


喫茶叙景文 ~静かな壁に灯る、やわらかな明かり~
昼の光が、コンクリートの丸い穴を通ってカウンターに落ちる。
グレーの天板の上には、深い緑のマットと、小さな観葉植物の水滴。
キリマンジャロの入ったポットが少しだけ湯気を残して静かに置かれている。
グラスには冷めかけのコーヒー、カップには最後の一口。
ランチの匂いとコーヒーの香りが、同じ台所の空気の中で溶け合っていく。
店主はカウンターの内側で、いつものように手を動かしている。
特別なコンセプトを語る前に、
「人は宝。」
その一言に、40年分の時間が折りたたまれている。
ここで過ごした一時間は、少しだけ形を変えて胸の中に残る。
扉を閉めて外に出ると、丸の穴のいくつかが灯りを宿し、
夜の道に小さな円を描いている。
坂戸の片隅で、台所の延長線に続いている祝祭。
Caffe えん の灯りは、今日も静かに、その輪を広げている。
基本情報
- 1住所:
-
埼玉県坂戸市関間1-4-5
- 2アクセス:
-
東武東上線・東武越生線「坂戸」駅から徒歩7分。
住宅街の一角にあるコンクリート造の建物の一階。 - 3営業時間:
-
月~土:10:00-15:00 / 16:00 -22:00
定休日:日・祝 曜日 - 4備考:
-
- 日替わり家庭料理あり
- メニューや営業日は要確認。










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